暇をもてあまして、youtubeをサーフィンしていたら
懐かしい映像に出会った。
高校生の頃、ボクは走り屋だった。それはもうかなり狂ったようにバイクにはまっていました。
中2の頃、自転車で夜釣りに行くと、なにやらものすごい台数のうるさいバイクの音が遠くから聞こえてきた。友達のだいすけ君が「あれ水産だよ」と。
お!!知ってる!!うわさには聞いたことある!!行ってみたい!!ってことで、みんなでチャリで水産を見に行きました。そのときの衝撃はすごかった。中学生のボクにはもう「なんじゃこりゃ!!」以外の表現は見つかりませんでしたね。もうそれから2年間は頭はバイクのこと以外ない状態で、寝ても覚めてもバイク、バイク、バイク。
高校生になり、誕生日の4日後には中型免許を取得。
このころは水産の閉鎖やファッションの変化などもあり、廻りはSRやスティードだった中、僕の周りにもかろうじてレーサーレプリカを買って走り屋をやりたいって仲間がいました。
晴れて走り屋の仲間入り。といきたかったのですが、憧れのスポット「水産」が閉鎖。しょうがないので昭和島、京浜島、城南島、フェリー埠頭などのしょぼいスポットを走ってました。しかも日曜日の昼間。
ボクのチームは同じ中学の先輩が作ったチームの2代目。この初代チームはボクにとってはカリスマ的で、このチームの看板を背負えたことがすごい誇らしかった。
で、毎週狂ったように走ってました。ガソリンを夜中の間だけで、2回満タンにするくらいは走ってましたね。
いろんなところに走りに行くようになり、僕の走っていたのは、上記のスポット以外では、新木場、辰巳、ディズニーコーナー、若洲、東扇島、大黒埠頭などなど。けっこう負け知らずでした。
で、そんな中、水産(裏水産)を復活させよう的な話になり、お台場に集合、一路相当の台数で湾岸高速海底トンネルをくぐり水産へ。もちろん若気の至りでお金は払ってません。
このころの水産は2輪規制で夜間はそこにいるだけでOUT。さらにコーナー手前に鬼のような数のキャッツアイがマキビシのように。普通に考えたら走れないじゃん。ってとこなんですがそこは若さでカバー。キャッツアイはコーナー手前にしかないので、反対車線を走ればいいんだ!!ってことで水産復活。
いやー楽しかったです。
毎週毎週どこから聞きつけたのかものすごい台数が集まるようになり、レベルも上昇。初めて屈辱的にぶっちぎられたのもこの頃です。バイクもインチキ仕様にどんどん改造していき、ライトはおろか、保安部品ゼロ。ファイナルレシオも13-44というありえない加速仕様に。(ちなみに乗り物は89NSR+92SPエンジン リア17インチ ノーマルスプロケは15-40)それでも結局2台勝てない人がいたのを覚えてます。
楽しかったのもつかの間、夜なのに白バイはでるし、一斉検問(大井水産埠頭は埋立地なので全ての橋を閉鎖されると逃げ場がなくなっちゃいます)たまたまボクはその日はどうしても行けなかったので事なきを得たのですが、ここでチームのみんなのモチベーションがダウン。もうすぐ車の免許だしそろそろバイク辞める的な感じになっちゃったのです。(逃げる際に転等して入院しちゃったヤツもいました)
まったくバイク熱のさめないボクはそのころからサーキットに転向しました。
サーキットはレベルも高いし、今までやってきたことがママゴトに感じるほどシビアな世界でした。まあそのままドップリレースにハマるんですが、やはり土曜日の夜のあのワクワク感はなにものにも変えがたいものがありました。。
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